はじめに
1986年1月生まれ。今年でちょうど40歳になります。私は、生まれ育った石川県の内灘町に「タイガー薬局」を開業しました。この連載は、これから独立開局を目指す薬剤師の方に向けて、「面薬局」という王道ではない開業スタイルで独立した経営者としての視点をお届けするものです。面薬局での開業は、決して簡単な道ではなく、正直なところ、誰にでもおすすめできる選択ではありません。それでも、私がこれまでの中で経験した失敗と学びが、これから挑戦しようとする誰かのヒントや支えになるかもしれない。そう思い、この連載を始めることにしました。
目次
1.地元・内灘町の原点と価値観の形成
タイガー薬局の建物は、かつて両親が小売店を営み、その後はコインランドリーとして使っていた場所です。私はその2階で、小学校卒業まで暮らしていました。内灘町は海に面し、人口約25,000人(2025年時点)の小さな町で、気性の荒い人が多いのですが(笑)、その分とても情に厚く、地域のつながりが強い場所です。みんな祭りが大好きで、秋になると一気に地域がひとつになる。そんな、人間味あふれるところが私は好きです。幼い頃から地域の空気を吸って育ったことで、「いつか地元で働きたい」という気持ちが心のどこかで育っていたのだと思います。
2.研究職から調剤薬局へ。人と関わる仕事を求めて
大学は地元の金沢大学薬学部(4年制)に行き、大学卒業後は大学院へ進学し、修士課程を修了。そして県外のジェネリックメーカーに研究開発職として就職しました。就職理由は「周りがみんな研究職に就くから」というものでした。研究そのものは嫌いではありませんでしたが、働いていると次第に「もっと地元で人と関わりながら働きたい」という気持ちが強くなりました。そこで1年半で退職し、2012年、石川県金沢市の調剤薬局へ転職しました。給与が高く、社長がパワフルで面白かったことが決め手でしたが、結果的にこの選択が私の薬剤師人生を大きく変えました。
3.在宅医療との出会いと専門性の形成
まず配属されたのは病院門前の旗艦店舗。知識も経験も足りず、毎日外来調剤で必死に学びながら働きました。半年ほど経った頃、在宅チームへの誘いがありました。当時は在宅医療が今ほど普及しておらず、「在宅ってなに?」という状態だったため一度断ったのですが、最終的に承諾することになりました。しかし、異動となった翌月、大きな衝撃を受けました。担当していた施設が系列ごと、そっくりそのまま他の薬局に切り替えられたのです。「施設在宅は、一瞬でゼロになる」在宅医療の厳しさを、最初の数ヶ月で痛感しました。
それからは個人在宅へ軸足を移し、病院の地域連携室、地域のクリニック、ケアマネジャー事業所、多職種研修会に積極的に足を運びました。在宅医療の講演も増え、社内では在宅を担える薬剤師を育てるため、実務実習の受け入れや新人研修にも力を入れ、新卒採用にも関わるようになりました。
その後は管理薬剤師を経て、エリアマネージャーへ。在宅を拡大し、地域支援体制加算が算定できる体制づくりに関わりました。担当エリア全体でも、ほとんどの店舗で地域支援体制加算が取れるようになり、会社の在宅・地域連携の底上げに深く関与するようになりました。さらに教育部長として、社内研修の企画、新人教育、在宅・緩和の研修を担当。M&Aによる大手チェーン傘下入り後は、親会社の教育にも携わりました。役職も仕事も順調で、「このまま会社の中でキャリアを積んでいくのだろう」と思っていました。しかしその一方で、「いつか町の薬局のおじさんになりたい」という気持ちは、ずっと消えずに残っていました。
4.SNSで知った面薬局開業という選択肢と独立への決意
転機は2023年2月。在宅医療の難しさを感じ、もっと広く情報発信したいと思い、X(当時Twitter)で「タイガー薬剤師」として発信を始めました。それが驚くほど反響を呼び、1年後にはKindle出版でベストセラーを獲得。全国の薬剤師とつながる中で、面薬局で開業して成功している人たちがいることを知りました。正直、私は「面薬局での開業なんて普通じゃない」とすら思っていました。しかし実際にその道を歩んでいる人の存在を知り、考えが大きく変わりました。「地元で薬局を開きたい」という想いが再び強くなりました。
さらに地元・内灘での在宅医療では、私の家族や親戚とつながりのある患者さんも多く、地域に深く根差した在宅医療を行うようになりました。ある日、新たに担当することになったすい臓がん末期の患者さん――父の親友の在宅を担当しました。1ヶ月足らずの関わりで看取りとなりましたが、家族の方から強い感謝の言葉をいただきました。しかし同時に、心に大きな疑問が湧きました。こんな最期のほんのわずかな期間だけ関わり、「ありがとう」と言われることでいいのだろうか?本当にその人らしい最期を支えるには、もっと早い段階から関わるべきではないか?ACP(アドバンス・ケア・プランニング)を考えたとき、“最期だけ在宅”の限界を感じるようになりました。この課題を解決するためには、「この町で開業しなければ、自分がやるべき在宅医療は実現できない」と確信しました。
独立を決めたのは2023年12月。理由は意外にも、16Personalities診断で「起業家型」と出たことでした。私の祖父は饅頭、ジュース、アイスクリームを販売したり、マリーナ経営、町議会議員になるなど、次々と事業を起こす起業家でした。幼い頃、祖父の家には年始や祭りになると多くの人が集まり、その姿にずっと憧れていました。葬儀のときには、あふれるほどの参列者が訪れ、祖父がどれだけ地域から慕われていたかを知りました。その記憶が蘇り、「自分もこの町で、人が集まる場所を作りたい」という感情と結びつき、独立を固く決意しました。
5.独立の加速とタイガー薬局の誕生
独立準備は2年ほどかけるつもりでしたが、社内体制の変更により流れが急速に加速しました。人事に関わる仕事に関われたり、在宅希望で入社した新人が在宅に関われない配置になるなど自分が大切にしてきた軸が、揺らぐようになりました。「ここではもう、自分のビジョンは実現できない」と感じ、2024年4月に年内退職を決意。翌月には社長に伝えて、開業準備に走り出しました。そして2025年3月、タイガー薬局はついにオープンしました。
タイガー薬局は、外来・在宅・看取りを一気通貫で支える”地域で生きる面薬局”を目指しています。物販にも挑戦していますが、これも地域包括ケアにおける薬局の役割を果たすために必要な取り組みです。もちろん苦労は尽きませんが、毎日が本当に充実しています。
6.おわりに
ここまで読んでくれてありがとうございます。私が独立に至るまでの道のりを振り返りました。次回は、「独立を決意してから開業までに実際に何をしたのか」について詳しく紹介します。この連載が、これから開業を目指す方の参考になれば幸いです。